伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

5周年に際して

年度初めの何かと気ぜわしい時期ではございますが、赤坂浄苑関係者の皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。 皆さまが新しく「お墓」を探されるにあたり「檀家になる必要がない」ということが条件に含まれるのを特に多くお聞きいたします。宜伝広告でも「檀家になる必要はございません」と表記されているところが多数でございます。そこで今回は誤解を与えてしまう部分もあるかと思いますが「檀家」ということについて少し書かせていただきます。

私は常々現代において「檀家制度」は衰退していると申し上げておりますが、正確に言うとこれは少し誤りでございます。 元々江戸時代には「寺請制度」という制度が存在し寺院には役所のような性質があり、住民はいずれかの寺院に属し住民票的な書類の交付を受けることが時の政府により法的に義務付けられておりました。(キリスト教の排除という目的があった)このことにより寺院には決まった檀家さまからの安定的な収入があり、永続性が保たれていたと考えられます。

しかしながら現代においては寺院が戸籍管理をすることが無くなり、その上での少子化・高齢化・過疎化に加え、「家」を代々継いでいくという考え方にとらわれなくなったということが寺院経営において大変大きな問題となっております。 例えば昔は100件の檀家さんが持ち合い支えていたお寺があったとします。過疎化の影響でその数が半数の50件に減ってしまったとします。そうなってしまっても伽藍(がらん)の維持や運営の費用が大きく変わるわけではなく、年間の護持会費では賄えない状況となるわけです。護持会費で賄えない部分は寄付という形で檀家さまにお願いするようになりますが、単純計算で以前より2倍の額を負担する形になるのでお金ばかり取られているという感覚になるわけです。

これは何もお寺だけが悪いということではなく寺院経営のあり方が時代にそぐわなくなってきていることが問題なのだと思います。 仮に寄付金が集まらなければその寺院は衰退していき次の担い手が無くなるでしょうし、実際には寺院を途絶えさせないよう壇務の他に仕事をされており、その収入を寺院運営に充てておられる住職さまが多数おられることも事実です。

ですが、現実問題としてこれからの時代はたくさんの方にご縁をいただき、少しずつ持ち合っていただき、護持会費のみで永続性を保っていく「赤坂浄苑」のような運営方法が主流となり、経営の厳しい寺院が廃寺になってしまう流れはなかなか止められるものではないと思っております。

「檀家」という言葉の語源はサンスクリット語で「お布施」という意味がある「ダーナ」という言葉を音写したものであり、檀家の本来の意味は「寺院にお布施をする家。またはその人」と辞書には出ております。赤坂浄苑では皆様から「護持会費」として侮年ご寄進をいただいておりますが、これは紛れもなくお寺に対する「お布施」でございますので、言葉の持つ一般的なイメージは悪くとも、本来の意味合いでいうと皆さまはお寺を支えていただいている大切な「檀家」さまとなるわけです。

今後も赤坂浄苑では年間の「護持会費」のみでの運営を基本とし、強制的に寄付を募るようなことはございません。その安心があって初めて皆様に親しんでいただくための様々な行事の開催·布教活動であるという理念を大切に運営してまいります。 ご契約いただいた皆さまは分け隔てなく「檀家」さまでございますので、ご意見·ご要望などございましたら遠慮なくお申し出くださいますよう今後ともよろしくお願いいたします。