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5周年のときを刻む赤坂浄苑を守り続ける角田住職に
その想いやこれからのご供養の在り方などを語っていただきました。

皆様と温かくふれあい、語らいながら、
愛語にあふれた赤坂浄苑を目指していきたい。

伝燈院 赤坂浄苑
住職
角田 徳明

プロフィール
誕辰 昭和30年8月4日出生
修学 駒沢大学仏教学部禅学科卒業 駒沢大学大学院人文科研究科仏教学専攻修士課程終了
立身 昭和56年5月8日 夏後埼玉県坂戸市塚越西光寺住職 光地英学 再会に於いて立身
伝法 昭和57年2月7日 埼玉県坂戸市塚越西光寺住職光地英学の室に入り伝法転衣許状を伝法
転衣 昭和57年2月28日 転衣許状を受く
瑠世 昭和60年11月25日 大本山 永平寺へ拝登 / 昭和61年1月28日 大本山 総持寺へ拝登
補任教師 平成3年3月26日 一等教師に補任される / 平成7年11月22日 正教師に補任される
補任布教師 平成3年4月12日 命令一等布教師に補任される / 平成4年5月1日 凜命二等布教師に補任される
住職 昭和63年2月8日 伝燈院住職拝命
参与 平成10年3月10日 大本山 総持寺「参与」拝命

住職:角田 徳明

忘れられない師匠との思い出

ー ご住職が仏門の世界に入った理由などを聞かせていただけますでしょうか。

私自身が在家出身であったのですが、文学が好きだった関係から坐禅や仏教に興味を持つようになり、一度学んでみようと考えて駒澤大学の仏教学部に進学いたしました。そこで大学の教授とお寺の住職を兼任されている光地英学先生に出会い、弟子にさせていただいたのがこの世界に入ったきっかけでございます。

光地英学先生は大変に厳しい方でした。普通に話をするときも緊張していました。特に師匠は聞き返されることが嫌いで何か用事を頼まれたときに、もう一度お聞きしようものなら、声音が変わるのです。ですから師匠の言葉は一言一句たりとも聞き漏らさないようにしていたのです。
弟子入りしてからは坂戸にある師匠のお寺に在籍しました。師匠が私に何か用事があって呼ばれた場合は、向かう途中で今日は何の用事があるのかを考えながら、向かったものです。
何せお寺は広いですから、師匠のもとに着くまで考える時間は多少ありました。そのときに一を聞いて十を知るといった物事を聞く姿勢も身についていったように思います。
今でも覚えているのはよく小言を言われたあとに「まあいいわ、帰れ」の言葉でした。さんざん、叱られたあとのこの言葉は、匙を投げられたようで深く落ち込んだものです。しかし、そのうちにその言葉を聞いて、踵を返したとき、叱られたことをパッと忘れられる習慣がついていきました(笑)。今、考えればこれは禅の修行にも通じるものがあります。禅では反省は大事ですが、それをいつまでも引きずつてはいけないという考え方があるからです。

恥をかくことで学んだ修行時代

師匠は大学の先生で教えるのが仕事ですが、お寺では何も教えてくれませんでした。たとえば「お施餓鬼を手伝ってきなさい」と言われて近隣のにご寺院さんに出かけます。でもそこで私は何をしたらいいか、何も教えてはくれないのです。私と行った、年齢も同じくらいの僧侶がそつなくこなしているのに、私は何もできません。だから恥ずかしい思いをするわけです。しかし実はそれが師匠の弟子の育て方なのです。そして実際に私は恥をかくことで僧侶としての様々な仕事を覚えていきました。

僧侶としての自覚を大事にする日々

ー 法要やご供養をされる中で心掛けているのはどのようなことでしょうか。

やはり僧侶としての自覚を忘れないということですね。服装もそうです。若い僧侶の中には移動のときはスーツ姿で先方に着いてから袈裟に着替える人もいます。しかしそれで本当に僧侶としての精神が保たれるでしょうか。お葬式などもそうですが、会場に着いたときには供養が始まっています。経を読むときだけが供養ではありません。ですから自身も含め、若い僧侶にはまず服装から気をつけるように注意をすることがあります。
もちろん外見だけではなく、禅宗ですので毎朝の坐禅は欠かさないように心掛けております。そういった積み重ねがあるからこそ、供養の場で僧侶として正しい振る舞いができるものと信じています

ー ご住職の立場から縁の大切さを教えていただけますでしょうか。

誠実に供養に務めることが何よりも縁を大切にすることではないでしょうか。すべての人に通じるわけではありませんが、誠実に接することでより多くの方との縁を大事にできると思っています。また何よりも相手の話をよく聞いて差し上げるようにしています。法事や葬儀を終えて帰るときに「今日はいいお話を聞かせていただいてありがとうございました」と言われることがあります。実は私はほとんど話をしていないのです。しかし相手の話に誠実に耳を傾けることで深い満足を感じるのでしょう。もちろん僧侶として曹洞宗の考え方をお伝えすべきときもあります。しかし、それも相手の方の話を伺った上で「曹洞宗ではこういった教えもあります」といったようにお話をするようにしています。何につけても押しつけるのはよくありません。大変教義のことを勉強されているお坊さんもいます。しかし法事の際に「別の人にきてほしい」と言われて私が赴いたこともありました。どれほど良いことも押しつけでは伝わりません。ですから私は誠実に相手の方と接するようにしているのです。その中で自然と曹洞宗の考え方に染まってもらえればと思っています。

戒名授与式を行う意味

ー 誠実という意味では生前に戒名を希望される方に一回一回戒名授与式を行っているところにもそれを感じます。戒名授与式を行う理由は何でしょうか。

曹洞宗ではもともと授戒会というものを大切にし、力を入れています。ただし本山で行うような授戒は何日も掛かり、それを一つの寺で行うことは容易ではありません。そのために簡略化したものになりますが、ご戒名の意味をある程度理解した上で行うこの授与式は、もともとの曹洞宗の在り方に則しているものではないでしょうか。僧侶もお寺に入ってすぐに戒名をいただけるわけではありません。一定の期間、様子を見てから得度式で戒名をいただきます。私の場合は、戒名をいただいたときに本籍の名前も戒名に変えました。先にお話した師匠の厳命だったのです。しっかり僧侶として仕事を全うしていくようにとの意味がこめられていたと思います。ありがたいことはありがたいのですが、そこまでやることで正直、仏門の世界からは逃げられないと覚悟をしました(笑)。
在家と得度したものとの違いはありますが戒名を持つというのはそれほどの重みがあると思います。戒名は血脈というお釈迦様とのつながりという意識を持つことなのです。

これからのご供養のかたちがここにある

ー 5周年を迎えました赤坂浄苑。今、感じる想いを教えていただけますでしょうか。

平成8年、麻布浄苑において自動搬送式のお話がありましたが時期早尚と考え、通常の納骨スタイルにいたしました。そして平成25年にそろそろ自動搬送式も社会に認知される時代になったのではないかと思い、赤坂浄苑の開創を決断したのです。あれから5年、いよいよ仏様の供養のあるべき姿として自動搬送式の屋内墓苑が主流になってきたように感じています。以前は納骨堂といえば独身の方やお子様がいない方など跡を継ぐ家族がいない場合が多かったようです。しかし自動搬送式の墓苑は、お子様のいる・いないにかかわらず、お参りしやすいお墓としてお求めになられる方が増えています。

ー これからのご供養についてのお考えを聞かせてください。

赤坂浄苑の伝燈院は大変古いお寺で、檀家さんの中には何代にもわたってご供養させていただいている家もございます。しかし半面、家自体が途絶えてしまうケースも少なくはありません。しかしこれは私の寺に限ったことではありません。現代はいい意味でも悪い意味でも個人主義の時代。その中でご供養のかたちも家が代々まで守っていくのではなく、供養をお寺に任せる永代供養墓という方向になっていくように思います。その場合、大事になってくるのは信用だと思っています。

ー 最後にメッセージとして住職が日頃から大事にされている言葉を教えてください。

曹洞宗の開祖である道元禅師の言菓に「面(むかい)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく回天の力あることを学すべきなり」とあります。
面と向かって優しい言葉をかけられれば、自然と顔に喜びがあふれ、心が楽しくなる。また、人づてに優しい言葉を聞いたら、なお妍しいだろう。愛のある言葉は天子の心も動かす力があることをよく学ぶべきであると言った意味になります。私自身がそれを心掛けるようにしています。これからも愛語があふれる赤坂浄苑にしていきたいと思っています。

ー 本日はありがとうございました。